ベトナム中部タインホア省の記念公園で、植樹されたヤシや竹、タイサンボクなどの木々が大量に枯死していることが明らかになりました。2025年夏に完成したばかりのこの公園は、維持管理不足が指摘されており、地元住民やVnExpressが報じています。
悲劇の記念公園で植樹が大量枯死
マー川の堤防外側に位置するこの公園では、植えられた多くの木々が生命力を失い、傾いたり枯れ果てたりしています。特に目立つのは、葉が落ち、しおれて先端が枯れてしまった成木となったヤシの木で、そのほとんどが回復不可能な状態にあります。
この公園は、1972年の米軍による爆撃で犠牲となった64名の教師と生徒を追悼するために建設されました。しかし、完成から間もないにもかかわらず、その景観は荒廃の一途をたどっています。
荒廃する公園の現状と住民の声
公園内では、多くの場所で雑草が生い茂り、通路は土砂で覆われています。一部の空き地は家畜の放牧に利用されており、完成当初のきれいな姿とはかけ離れた荒れ果てた光景が広がっています。
地元住民は、最近このエリアでは定期的な手入れや水やり、剪定、景観保護を行う人員がほとんどいないと証言しており、それが木々の枯死増加に繋がっていると指摘しています。
引き渡し未完了が招いた管理不足
ハムロン区公共サービス供給センターの責任者によると、このプロジェクトは現在、寺院部分のみが管理運営部門に引き渡されており、記念碑エリアと堤防外側の景観部分については、まだ正式な引き渡し手続きが完了していないとのことです。
同センターの代表者は、完全な引き渡しは受けていないものの、木々の枯死状況を把握した後、タインホア省の土木・工業プロジェクト管理委員会(地方行政への引き渡し後にプロジェクトを引き継ぐ部門)に対し、保証期間中の造園業者の監視と手入れを要請したと説明しています。
建設が完了し、開園式が行われたにもかかわらず引き渡しが完了していない理由について、センターの責任者は、以前の開園式は2025年4月の「ハムロン勝利60周年記念式典」に間に合わせるための「技術的な完成」に過ぎなかったと釈明。その後、省人民委員会から追加項目の修正や補足が求められたため、プロジェクトがまだ完了していないと述べています。
悲劇の歴史:64名の犠牲者への追悼
歴史的資料によると、1972年夏、米軍がハムロン・ナムガン地域を継続的に爆撃する中、タインホア市やドンソン県などの教師、生徒、学生2,000人以上がマー川の堤防補強作業に動員されました。
1972年6月14日午前9時頃、米軍機がナムガン地域に突然激しい爆撃を行い、64名の教師と生徒が命を落とし、約300名が負傷、多数が行方不明となりました。これは、ベトナム戦争中の「ハムロン火点」における最大規模の犠牲者を出した爆撃の一つとされています。
犠牲となった教師と生徒たちに敬意を表するため、タインホア省は、ナムガン区(現在のハムロン区)に公園と記念碑の建設を投資しました。このプロジェクトには、国家予算から総額1,250億ドン(約7.5億円)以上が投じられ、タインホア市人民委員会が事業主となり、2ヘクタール以上の敷地で実施されました。
巨額投資プロジェクトの課題
2年以上の工期を経て、この施設は完成しました。重さ680トン以上の花崗岩製中央記念碑、記念寺院、歴史再現エリア、マー川沿いの景観エリアなど、多くの施設が含まれています。この施設は、1965年4月3日のハムロン勝利60周年記念日に合わせて開園しました。
ベトナムの公共事業においては、インフラ整備が急速に進む一方で、その後の運営維持管理体制の脆弱性が課題となるケースが少なくありません。今回のタインホア省の記念公園の事例は、施設が技術的に完成し開園式が行われたとしても、正式な引き渡しが遅れることで責任の所在が曖昧になり、結果として公共財産が荒廃する構造的な問題を浮き彫りにしています。地方自治体における公共財政管理や効率的な公共サービス提供の強化が、持続可能な発展には不可欠と言えるでしょう。
このニュースは、ベトナムの多様な開発プロジェクトにおける長期的な視点の重要性を示唆しています。観光客や在住者が訪れる公園や公共スペースが適切に管理されていないと、その地域の印象を損ねるだけでなく、安全面での懸念も生じかねません。特に、歴史的な意味合いを持つ場所では、整備だけでなく、未来にわたる適切な維持管理計画と資金配分が不可欠であり、これが地域社会の持続的な魅力向上に繋がります。


